こんにちは!
えんちゃん。ハウスの山下友教です。
今日は、わたしたちが生きていく上で必要不可欠な
コミュニケーションの手段である、
「言葉」について取り上げてみようと思います。
言語化するということ
僕は音楽をやっているので、
ほとんど言葉の通じない人と
音楽を通してコミュニケーションをした経験や、
同じ日本人でも、
言葉で伝えるのが大変だったり、難しかったりするときには
音を出して伝えるという経験を多く持っています。
この「言語化する」という過程ですが、
言語によってだいぶ様子が変わります。
音楽が広まった歴史
西洋音楽はもともと、王侯貴族の間で聴かれていたもので、
部屋の中で食事をする時、
トイレをする時など、
城の中の本当に近い距離で音楽家が演奏をしていました。
さらには外交の有効な手段にも使われ、
良い演奏は、その国の力を示すものでした。
なので、本当にごく一部の
現在の一流アーティストが霞むくらいに
凄まじくレベルの高い音楽家がその職に就き、
代々家業として受け継いでいました。
ところが、市民革命や産業革命によって劇場が一般的になって
ブルジョワな市民も演奏を聴くことができるようになり、
さらには音楽学校ができて、教育が画一化され、
一気に音楽が広まっていきます。
そして、レコードの誕生。
CDの誕生、
さらにはmp3形式の誕生、
いまではストリーミング再生、SNSへの投稿などなど、
どんどん音楽は身近なものになりました。
量と質は反比例する
その過程で、クオリティーは確実に劣化しています。
今や、無限にある動画から一流を見つけるのは至難の業だし、
mp3やCDが出た時には、こんな低品質なもの、誰が聴くんだ?と言われたそうです。
もちろん、レコードだって生演奏に匹敵するはずもありません。
でも、質を下げることによって
ものすごい勢いで拡散することができたのです。
音質を劣化させたことによって、爆発的な拡散が可能となったと言えるでしょう。
言語でも同じことが起きた
さて、言語に話を戻してみると、ここでも同じことが起きていることが分かります。
今や世界中に広まり、多くの国で使われている英語は、
「シンプルで簡単だった」から広まることが出来ました。
このような言語のことをローコンテクスト言語と呼びますが、
直接的でわかりやすい表現が特徴です。
しかし、簡単がゆえに、
その言語では伝えられないニュアンスも多く存在します。
つまり、誤解を恐れずに言うなら、
表現を劣化させたことによって、爆発的な拡散な可能となったわけです。
行間を読む
一方、ハイコンテクスト言語と呼ばれる言語も存在します。
こちらは、非常に細かなニュアンスまで伝えることが可能ですが、
その代わりにある程度の共通認識が前提となるため、多くの人が使うには向いていません。
そして、日本語はこのハイコンテクスト言語と言われています。
脳内言語がハイコンテクスト言語であることは、
より繊細な感覚を認識することが可能になる一方、
他者とのコミュニケーションにおいては
前提となる部分がズレていると、とんでもない誤解を与えてしまったり、
お互いに気付かないレベルで受け取り方に差が出やすい言語とも言えます。
言語に「ならなかった」捨てている情報があることに気付く
そして、わたしたちは言葉を話せるからこそ、
言語に頼ってしまいがちです。
言葉にすることで、
伝達は容易になりますが、
その際、
言葉に当てはめた時にハマりきらなかった情報を
わたしたちは捨てているのです。
音楽の流通と同じ原理で、
伝えることによって、情報の「劣化」が起きているのです。
文字だけのやり取りよりも電話の方が伝わりやすいのは、
声色だったり、抑揚だったり、
言葉以外の「音」から得られている情報がかなりあることを示していますし、
電話よりもビデオ通話の方が表情などの視覚的要素を受け取れる分、安心するでしょう。
さらには、オンライン上でビデオ通話するよりも
直接会った方が伝えやすくなるのは、
その場の空気感だったりと、非言語でのコミュニケーションが容易になるからです。
前提が違うと、全く異なった受け取り方になる
デヴィッド・R・ホーキンズ博士の『パワーか、フォースか』という書籍はご存じでしょうか。
僕が生涯の中で大きく影響を受けた本の中の1冊なのですが、
このホーキンズ博士の提唱する「意識レベル」というものを階層的に表した図があります。
出典:デヴィッド・R・ホーキンズ著『パワーか、フォースか』より、意識のマップ
ここに書かれている意識のマップは、
いわばその人の現在の人生のステージというか、
その人の物事を捉える前提となります。
例えば、全く同じ出来事が起きた時に、
ある人は恐怖を覚え、
ある人はやる気がでて、
またある人はとても嬉しい気持ちになります。
目の前の人が無表情でこちらを見た時に、
ある人は非難されているように感じるけれど、
人によっては「この人は信頼できるな」と感じるかもしれないし、
とても穏やかな人に見えることもあります。
それは、物事自体には善悪は存在しておらず、
その人がどう解釈し、認識するかによって
世界がまるで違って見えるという事です。
このように、言葉になるまでの過程や
言葉に出す前の前提の違いを知っておくということは
とても重要だと僕は感じています。
報道しない自由
もう一点、この話題に触れたからには話しておきたいのが、
「報道の自由」についてです。
有名なのは、テレビが元々、大衆をコントロールするために導入されたものだという事実。
(テレビを日本で普及させた人と、プロ野球、原子力発電を持ち込んだ人は同一人物です)
→参考: 正力松太郎(ウィキペディア)
3S政策と言って、3つのS
・screen(スクリーン=映像鑑賞)
・sport(スポーツ=プロスポーツ観戦)
・sex(セックス=性欲))
で大衆の関心を政治に向けさせないようにする方法として知られています。
話を戻しますが、
テレビ局は、公衆電波を格安で独占させてもらって絶大な権力を得ていますが、
代償として、スポンサーや政府の顔色を常に伺う必要があります。
そこで、都合の悪い情報が出てきた時に
事実を捏造してしまうと、それがバレた時に代償が大きいので、
伝えたくない情報を隠すために、報道の自由を逆手に取った
「報道しない自由」という権力を使います。
メディアで突然、一斉に同じ報道をする時ってありますよね。
例えば、兵庫県知事とか、大谷選手の話題とか。
そういった、複数の局が一斉に何かを取り上げ続けている時、
じつは重要な法案がしれっと通っていたり、
知られたら反発を食らうようなことが起きていたりするのです。
これはインターネット上のプラットフォームでも言えることで、
検閲が可能な以上、
その企業やスポンサーにとって都合の悪い情報は
「流れてこない」というのを理解した上で情報を受け取る必要があります。
メディアで情報を受け取る際には、
報道されていることだけでなく、
【なにが報道されていないのか】を意識することがとても大切です。
おわりに
いかがだったでしょうか。
思っていることを書き出したら結構なボリューム感になりましたが、
「言っていないこと」を読み取る重要性について、記事にしてみました。
なにかの参考になれば嬉しいです!
それでは、お読みいただきありがとうございました!
えんちゃん。ハウス 山下友教